
医師
市川 峰大
「以前より従業員が疲れているように見える」
「十分に休んでいるはずなのに、生産性や集中力が上がらない」
そのような課題を感じている企業担当者の方もいるのではないでしょうか。
近年は働き方改革や健康経営の推進によって長時間労働の是正が進み、休暇制度や福利厚生の充実に取り組む企業も増えています。しかし、休みを取得していても「疲れが取れない」「頭が休まらない」と感じる従業員は少なくありません。
その背景の一つとして考えられているのが、スマートフォンやSNS、チャットツールなどによる「常時接続」の状態です。仕事中はもちろん、通勤中や休憩時間、帰宅後まで大量の情報に触れ続けることで、脳は十分な休息を取れなくなっています。
こうした状況のなかで注目されているのが「デジタルデトックス」です。デジタル機器から意識的に距離を置き、脳や心を休ませる取り組みとして、近年は健康経営やウェルビーイング施策の一環としても関心が高まっています。
デジタルデトックスは単なる「スマホ禁止」ではありません。脳に余白をつくり、集中力やメンタルヘルスを整え、さらには新しい発想や創造性を引き出すための取り組みとも考えられています。
本記事では、デジタルデトックスが脳や心に与える影響や、福利厚生として取り入れる意義について、医学的な知見を交えながら解説します。
デジタルデトックスとは、スマートフォンやパソコン、SNS、メール、チャットツールなどのデジタル機器やオンラインサービスから一定時間距離を置く取り組みです。
現代のビジネス環境では、メールやチャットによって迅速なコミュニケーションが可能になり、業務効率は大きく向上しました。一方で、常に通知や情報にさらされることで、仕事中だけでなく休憩時間や休日にも脳が休まらない状態が生じています。
デジタルデトックスは、デジタル機器の利用そのものを否定する考え方ではありません。必要な場面では活用しながらも、意図的にデジタル機器から離れる時間を確保し、脳や心に休息を与えることを目的としています。
近年、デジタルデトックスへの関心が高まっている背景には、情報量の急激な増加があります。
スマートフォンひとつでニュース、SNS、動画、メール、チャットなど膨大な情報にアクセスできるようになりました。便利になった反面、人間の脳は常に情報を処理し続ける状態に置かれています。
また、リモートワークやハイブリッドワークの普及により、仕事とプライベートの境界が曖昧になったことも一因です。以前であれば退勤とともに仕事から離れられましたが、現在は自宅でもチャットやメールを確認できる環境が整っています。その結果、「常時接続」が当たり前となり、無意識のうちに疲労が蓄積しているケースも少なくありません。
こうした背景から、近年は身体を休ませるだけでなく、脳を休ませることの重要性にも注目が集まっています。従業員の集中力やメンタルヘルス、生産性の維持・向上を目指す企業にとって、デジタルデトックスは福利厚生や健康経営の新たな選択肢の一つとして関心を集めています。
私たちは普段、スマートフォンやパソコンを「使っている時間」だけが脳への負担になると考えがちです。しかし近年は、デジタル機器を操作していない時間であっても、集中力や認知機能に影響を与える可能性が指摘されています。
スマートフォンの影響は、通知が鳴ったりSNSを閲覧したりしている時だけとは限りません。
スマートフォンを机の上に置いた人と別室に置いた人を比較した研究では、スマートフォンを別室に置いた群の方が認知機能テストの成績が高い傾向が示されました。この研究ではスマートフォンはサイレントモードに設定されており、参加者は実際にスマートフォンを操作していませんでした。それにもかかわらず差が認められたことから、スマートフォンの存在そのものが無意識に注意資源を消費している可能性が考えられています(出典※1)。
仕事中に「集中しているつもりなのに気が散る」「作業に没頭できない」と感じる背景には、こうした見えにくい認知負荷が関係しているのかもしれません。
現代のビジネス環境では、メールやチャット、オンライン会議、SNS、ニュースアプリなどを通じて膨大な情報が流れ込んできます。
資料を作成しながらチャットを確認し、その途中でメールに返信し、さらにオンライン会議へ参加するといった働き方は珍しくありません。一つひとつは短時間の作業でも、脳はそのたびに注意を切り替えながら情報を処理しています。
こうした状態が続くと、脳は十分に休息する時間を確保しにくくなります。その結果として疲労感や集中力の低下、判断力の低下などにつながる可能性があります。
身体を休めることが重要であるように、脳にも意識的な休息が必要です。デジタルデトックスが注目されている背景には、このような情報過多による脳疲労の問題があります。
デジタルデトックスは単にスマートフォンやSNSの利用時間を減らすことが目的ではありません。脳や心を情報過多の状態から解放し、心身のコンディションを整えることが本来の目的です。
近年はSNSとの付き合い方がメンタルヘルスに与える影響についても研究が進んでいます。
大学生を対象とした研究では、SNSの利用時間を1日30分程度に制限したところ、孤独感や抑うつ症状の改善が認められました(出典※2)。
もちろんSNSそのものが悪いわけではありません。しかし、無意識に長時間利用し続けることで他者との比較や情報過多が生じ、心理的な負担につながる可能性があります。
デジタルデトックスは、こうした過剰な情報接触から一時的に距離を置き、自分自身の心の状態を整えるきっかけにもなります。
スマートフォンやパソコンは、仕事中だけでなく就寝前の時間にも大きな影響を与えています。
寝る直前までSNSや動画を見たり、仕事のメールを確認したりする習慣があると、脳は休息モードへ切り替わりにくくなります。身体は横になっていても、脳は情報処理を続けている状態です。
また、休日であっても仕事のチャットやメールが気になり、オンとオフの境界が曖昧になっている人も少なくありません。
デジタル機器から離れる時間を意識的に確保することで、情報過多によるストレスを軽減し、心身をリフレッシュしやすくなると考えられています。
デジタルデトックスの価値は、疲労回復やストレス軽減だけではありません。創造性や発想力の向上という観点からも注目されています。
新しいアイデアが浮かぶのは、会議中やパソコンに向かっている時よりも、散歩中や入浴中、通勤中など何気ない時間であることが少なくありません。
こうした現象の背景には、「デフォルトモードネットワーク(DMN)」と呼ばれる脳のネットワークが関係していると考えられています。DMNはぼんやりしている時や何も考えていないように見える時に活発になる脳回路で、内省や記憶の整理、発想や問題解決などに関与しています(出典※3)。
私たちはつい「空いている時間を有効活用しなければならない」と考えがちですが、脳にとっては何もしない時間も重要です。常に情報を詰め込み続ける状態では、新しい発想が生まれる余地は少なくなります。
意図的にデジタル機器から離れ、脳に余白をつくることは、創造性やアイデア創出を支える重要な時間ともいえるでしょう。
出典※3:Raichle ME. The Brain's Default Mode Network. Annual Review of Neuroscience. 2015.
デジタルデトックスは個人のセルフケアとしてだけでなく、企業の福利厚生施策としても注目されています。従業員の健康維持や働きやすい環境づくりが重視されるなかで、脳や心を休ませる取り組みは企業にとっても重要な意味を持っています。
近年は、従業員の健康を身体面だけでなく、心理面や社会的側面も含めて捉える「ウェルビーイング」の考え方が広がっています。
情報量の増加や常時接続の働き方によって、脳は休息する機会を失いやすくなっています。その結果として疲労感やストレスが蓄積し、メンタルヘルス不調につながるケースも少なくありません。
デジタルデトックスは、こうした情報過多の状態から一時的に距離を置き、心身のリフレッシュを促す取り組みです。従業員がオンとオフを切り替えやすい環境を整えることは、ウェルビーイング向上やメンタルヘルス対策の一環としても意義があります。
デジタルデトックスは「休むための施策」と考えられがちですが、それだけではありません。
脳が十分な休息を得られることで集中力や判断力の維持につながり、結果として業務パフォーマンスの向上が期待できます。また、意図的にデジタル機器から離れる時間を設けることは、新しい発想やアイデアを生み出すきっかけにもなります。
特に知的労働が中心となる現代のビジネス環境では、単純な労働時間ではなく、集中力や創造性といった認知パフォーマンスが企業競争力に直結します。従業員が高いパフォーマンスを発揮できる環境づくりという観点からも、デジタルデトックスは価値のある取り組みといえるでしょう。
経済産業省が推進する健康経営では、従業員の健康を経営資源として捉え、組織の持続的な成長につなげる考え方が重視されています(出典※4)。
これまでの健康施策は、運動習慣や食生活の改善、禁煙支援など身体的健康へのアプローチが中心でした。しかし近年は、ストレス対策やメンタルヘルス、ウェルビーイングの向上も重要なテーマとなっています。
デジタルデトックスは、脳疲労の軽減やストレス対策、働きやすい職場環境づくりにつながる取り組みとして、健康経営の考え方とも親和性があります。従業員が長期的に健康で活躍できる組織づくりを目指す企業にとって、新たな福利厚生施策の選択肢の一つとなるでしょう。
デジタルデトックスは、必ずしも「スマートフォンを禁止する」「パソコンを使わない日を設ける」といった極端な取り組みを意味するものではありません。重要なのは、従業員が意識的にデジタル機器から離れ、脳や心を休ませる時間を確保できる環境を整えることです。
スマートフォンやチャットツールの通知は、短時間であっても集中力を妨げる要因になり得ます。
例えば、資料作成や企画業務など集中力が求められる時間帯には、通知をオフにすることを推奨する方法があります。個人の裁量に任せるだけでなく、「集中タイム」や「ノーミーティングデー」などの仕組みとして導入することで、組織全体として集中しやすい環境を整えることができます。
リモートワークやチャットツールの普及により、仕事とプライベートの境界が曖昧になりやすくなっています。
緊急時を除き、夜間や休日の連絡を控えるルールを設けたり、メールやチャットの予約送信機能を活用したりすることで、従業員が安心して休める環境づくりにつながります。
従業員が十分に休息できることは、長期的なパフォーマンス維持やメンタルヘルス対策の観点からも重要です。
研修やチームビルディングの場に、あえてデジタル機器を使わない時間を設ける方法もあります。
自然の中で行うワークショップやフィールドワーク、対面でのディスカッションなどは、普段とは異なる環境で思考する機会になります。
日常業務から一歩離れることで視点が変わり、新たなアイデアや気づきにつながることも少なくありません。
近年は福利厚生の一環として、マインドフルネス研修や瞑想アプリを導入する企業も増えています。
マインドフルネスは、過去や未来ではなく「今この瞬間」に意識を向ける実践方法です。情報過多の環境では注意が分散しやすくなりますが、こうした取り組みは集中力の向上やストレス軽減のサポートとして活用されています。
デジタルデトックスと組み合わせることで、脳を休ませる時間をより確保しやすくなるでしょう。
近年は、働きながら休息や学びの機会を得るワーケーションやリトリートも注目されています。
自然豊かな環境で過ごす時間は、日常の情報過多な環境から距離を置くきっかけになります。また、普段とは異なる環境に身を置くことで、発想の転換や創造性の向上につながることも期待できます。
すべての企業が大規模な制度を導入する必要はありません。まずは「就業時間外の連絡を減らす」「通知をオフにする時間を設ける」といった小さな取り組みから始めるだけでも、従業員の脳や心を休ませる環境づくりにつながります。
また、近年は福利厚生サービスの中にも、マインドフルネスやメンタルヘルス支援、リラクゼーションサービス、ワーケーション支援などを提供するものがあります。デジタルデトックスそのものを目的とするサービスではなくても、「脳や心を休ませる時間をつくる」という観点から、健康経営やウェルビーイング施策を後押しする選択肢の一つになるでしょう。
スマートフォンやチャットツールは、現代のビジネスに欠かせない存在です。一方で、常に情報へ接し続ける環境は、私たちが気づかないうちに脳へ負担をかけている可能性があります。
デジタルデトックスは、デジタル機器の利用を否定するものではありません。必要な場面では活用しながらも、意識的にデジタル機器から離れる時間をつくり、脳や心に休息を与える取り組みです。
近年の研究では、スマートフォンの存在そのものが集中力へ影響を与える可能性や、SNS利用時間を見直すことで孤独感や抑うつ症状の改善につながる可能性が示されています。また、脳に余白をつくる時間は、ストレス軽減だけでなく、新しい発想や創造性を育むうえでも重要と考えられています。
人材不足や働き方の多様化が進むなか、従業員の健康やウェルビーイングは企業の重要な経営課題となっています。デジタルデトックスは、集中力やメンタルヘルス、生産性の向上を支える取り組みとして、福利厚生や健康経営の新たな選択肢の一つになるでしょう。
まずは就業時間外の連絡ルールを見直したり、通知をオフにする時間を設けたりするなど、小さな取り組みから始めてみてはいかがでしょうか。脳を休ませる時間を意識的に確保することが、従業員一人ひとりの健康と組織全体の活力につながるかもしれません。