1. TOP
  2. 専門家記事
  3. 介護休業法改正の限界

介護休業法改正の限界

介護休業法改正の限界

山梨大学 名誉教授
西久保 浩二

本年4月より育児・介護休業法が改正・施行された。正式名称は「育児休業、介護休業等育児又は家族介護を行う労働者の福祉に関する法律」であり、労働者福祉問題として定置されてきたものである。

 本法は1992年に「育児休業法」として施行されて以来、順次改正が重ねられてきた。「介護」という表現が付与されたのは1995年改正であり、現在の名称となったが、当時は介護休業の取得は努力義務だったが1999年には義務化された。

 今回は「介護」に焦点を当てて改正の意義、そして限界について述べてみたい。

 まずざっと主な改正内容を確認すると、変更点としては除外対象者とされていた「継続雇用期間6か月未満」の項目が削除され、入社間もない従業員も取得対象となった。高齢者雇用が拡がろうとするなかで妥当な拡張である。

また、企業側としてはやはり即時対応が求められる「義務化」という点に注目せざるを得ないだろう。明確に「義務化」として条文に謳われたのは「介護離職防止のための措置の義務化」とされた大項目の中にある①「個別周知・意向確認の義務化、②雇用環境整備の義務化」となる。加えて遅れて10月施行となる③「柔軟な働き方を実現するための措置の義務化」も含めた三点である。措置義務違反の場合には是正勧告を経て、最後は企業名が公表されるというペナルティが課される。採用難が続く現況、このペナルティは避けたいものであろう。

加えて「努力義務化」とされたのは①早期の情報提供、②介護のためのテレワーク導入となった。テレワークに関しては若干、疑問が残る。これまでの先行研究では在宅介護が離職を惹起させることが示されており、テレワークの離職抑制に対する効果は疑わしい。

今回の改正内容全体に対する筆者の印象は休業そのものの改正は先の対象者拡大だけであって、大半の内容は情報提供、支援制度の周知、働き方の柔軟性向上といったものであろうか。そして狙いとしてはやはり介護離職の抑止力強化に焦点を当てた改正であることは間違いなかろう。

しかし、この問題意識はそろそろ限界にきているように思われる。

現在、「介護・看護」を事由に離職する労働者数の推移は以下のとおりである。

 

図表1 就業状態別介護・看護のために過去1年間に前職を離職した者の数の推移
図表1 就業状態別介護・看護のために過去1年間に前職を離職した者の数の推移
「令和4年就業構造基本調査 結果の要約」(令和5年7月21)より抜粋

 

直近10年程度では、ほぼ10万人前後で推移しており、顕著な増加傾向は読み取れない。もちろん、団塊の世代(1947年~1949年生まれ)が全員75歳以上の後期高齢者となることから派生する諸問題の総称とされる「2025年問題」に突入しているという背景があり、この離職者が今後、増大する懸念はある。しかし、日本の現在の労働者数(就業者数)、6800万人規模からみると介護による離職者は仮に倍増して20万人程度になったとしてもわずか0.3%程度である。

一方で、離職せず介護との両立を続ける労働者(ワーキングケアラー/ビジネスケアラー)はより大規模に増大することが確実視されている。

20243月に経済産業省(ヘルスケア産業課)が示した試算では要介護者が2030(5年後)には833万人まで増えるなかでビジネスケアラーは318万人に達するとされる。そして、この離職者の30倍となる就労者が介護との両立よって毀損される労働生産性、経済損失は7兆9千億円になると見込まれている。ちなみに同試算での離職による損失(育成費用、代替採用費)は併せて2400億円程度でしかない。

政策的に介護問題に向けるべき焦点は既に「離職」から「労働生産性損失」に、特に就業しながら失われるブレゼンティズム(Preseteesm)に移っていると筆者は考える。

第二次安倍政権が20159月に発表した「一億総活躍社会」の目標の中で「介護離職ゼロ」を2020年代初めに達成することを目指す宣言されて以来、介護問題は「離職」に注目し過ぎたのではなかろうか。もちろん、「介護問題」を日本社会に強く啓蒙した安倍政権の功績は大きいわけだが、未だ「離職」だけに囚われることは政策的には認識が古く、不十分であり、日本経済社会にとってコスパが悪い。

社会構造が大きく変化してきているのである。少子高齢化の深刻化だけではなく、世帯構造の変化が著しい。2024年時点で専業主婦世帯は508万であるのに対して、共働き世帯は1300世帯を超えている。その多くがフルタイマー夫婦世帯となりつつある。介護での離職者統計ではこれまでも女性がほぼ8割を占めてきたが、筆者が当該問題の調査研究を始めた2000年当時では労働者世帯で老親介護が発生すると専業主婦世帯である妻が主たる介護者として従事し、夫の継続就労を支えるとするケースが多かった。何度か行った統計的な介護離職分析では女性が正に有意で、所得が負に有意となっていた。つまり、所得の高い夫(正社員)は離職せず、所得の低い妻(パート等も含めて)が介護に専念するたに離職するという構図であった。この時期の世帯は子育て費用がピークにある時期であり、高所得である夫が離職するわけにはいかなかったわけである。

しかし今や夫婦ともにフルタイマーの正社員としての世帯構成が一般化しようとするなかでは「離職せずに働き続ける子世帯夫婦」というビジネスケアラー世帯が大量に出現することは明らかである。正社員ほど介護離職による再就職時の所得再現率が低いことから離職は夫妻ともに極力、抑制されるのではないかと予測する。そして、深刻なブレゼンティズムが企業内で発生するのである。これは企業価値を高めるべく人的資本経営を推進しようとしている日本企業の経営にとって大きな内部的脅威となるであろう。もちろん、フルタイマー夫妻世帯では決定的に介護に割ける人的リソースが不足することが予想され、介護離婚、虐待などの家族生活での深刻な事態も懸念される(西久保(2015))

最近、正社員男女416人のブレゼンティズム(労働生産性損失)についての試算を行った。その結果が以下の図表2、図表3である。前者が損失率、後者が損失額である。202312月に行った定量調査からの分析である。この労働生産性損失はQQmethodと呼ばれる健康経営研究において多用された手法で二つの算出法(積算法と和算法)があり、併記している。上記の経産省試算と同等の手法でもある。

詳細な解説は割愛するが、やはり正社員であれば男女での損失率の差はほとんど見られない。当然のことであろうが正社員として勤務する以上、介護負担の影響に性差はないのである。3割から4割程度、労働生産性が低下するという大きなダメージである、企業にとっては大いに脅威となる数値ではなかろうか。

損失率に比べて損失額で男女差が大きく表れているのは賃金差が影響しているためである。今回の標本では男女の賃金差が管理職比率の差異もあってか比較的大きかった。

 

図表2 介護に伴う労働生産性損失率(男女別)
図表2 介護に伴う労働生産性損失率(男女別)


図表3 介護に伴う労働生産性損失額(年間 : 男女別/ 万円)
図表3 介護に伴う労働生産性損失額(年間 : 男女別/ 万円)

いずれにしても日本企業にとって経営問題である介護問題として今後、注視し対応を急ぐべきは「離職」ではなく、「ブレゼンティズム」である。自社において高い生産性が期待される中核社員の多くがこの問題が直面する可能性が高い。この点からも出産・育児との両立問題よりもはるかに深刻な悪影響をもたらすであろう。

政策サイドにもこの介護問題のステージ・チェンジに気づいていただき新たな対応を望みたいものである。介護休業を軸とした政策支援は既に限界を迎えているともいえる。広義に考えると休業自体が実はアブセンティズムと呼ばれ、労働生産性損失に繋がるものとなることを忘れてはならない

就業を続けながら介護に向き合う者に対していかなる支援が有効なのか、それは休業だけで事足りるものでないだろう。そこでは官民での密接な連携も不可欠となるはずである。

 

参考文献 

西久保(2015)『介護クライシス 日本企業は人材喪失リスクにいかに備えるか(単著)』旬報社

< 分析に使用した調査概要>.

・調査主体 : 山梨大学 西久保研究室 (科学研究費 基盤研究C 研究課題 22K01649)

・従業員調査の対象 : 全国の民間企業に勤務する20-69歳男女個人、正規従業員(202312月実査、有効回収数1658

・抽出・調査方法 : 令和4年就労条件総合調査における正規従業員の年齢・性別の構成比に準じてネット調査会社のモニターを抽出し、Web調査を実施

 


西久保浩二氏顔写真

この記事の講師

西久保 浩二山梨大学 名誉教授

一貫して福利厚生に取り組み、理論と実践の経験を活かした独自の視点で、福利厚生・社会保障問題に関する研究成果を発信している。

<公職 等>
国家公務員の福利厚生のあり方に関する研究会(総務省)」座長
国家公務員の宿舎のあり方に関する検討委員会(財務省)」委員
PRE戦略会議委員(財務省)」委員
全国中小企業勤労者サービスセンター運営協議会委員
企業福祉共済総合研究所 理事(調査研究担当)等を歴任


Recommend

おすすめ記事

 

メルマガ登録

最新情報や
お役立ち資料を自動受信!