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歴史的賃上げの時、福利厚生は、、、、、

山梨大学 名誉教授
西久保 浩二

315日、春闘2024年の集中回答日を迎えた。大企業層では満額回答が相次ぐばかりか、中には 鉄鋼大手など要求額を超えるという異例の回答も出された。急激な円安の恩恵を享受できている企業では収益性も急回復しており、支払い能力を余裕がでている点も大きい。また、各業界での、いわゆる横並び回答慣習も崩れはじめている。満額越え、満額、そして満額見送りが同業界で共存するなどわかりやすい判断格差も現れた。連合が発表した春闘初回集計では5.28%上昇という数字となった。ちなみに前回、2023年の同時点3.80%であったから、さらに大きく伸びて最終的に5%を超えると33年ぶりとなるらしい。

 

この賃上げの動きは中小企業層まで波及しつつあるようだ。連合は322日には2024年春季労使交渉の第2回回答の集計結果を公表し、ベアと定期昇給を合わせた賃上げ率は全体で平均5.25%となり、前年同時点の3.76%から1.49ポイント上昇と確定した。同時にその際に、組合員数300人未満の中小企業が4.50%となったことを伝えた。

 

これも前年同時期の3.39%から1.11ポイントと大幅に上昇したことになる。賃上げが全国的、全企業的な流れとなることが確実視された。いよいよゼロ金利解除、物価上昇、株価上昇などと相まって、さらに持続的な賃上げ続けば、バブル崩壊以降、長く続いたデフレをようやく脱却できるのではないか、と大いに期待が高まっているところである。

 

しかし、今回の賃上げについては企業にとってかなり強い社会的な圧力を感じていたのではないだろうか。物価上昇への対応として従業員の生計費確保の要請、政府からの再三にわたる要請、そして深刻な人手不足、さらには先行した株価がバブル越えを果たしたことも賃上げを受け容れざるを得ない状況をもたらしたように思われる。

もちろん、先述のように円安の恩恵を受ける輸出産業などでは好決算が確実視され支払い余力があることが賃上げを許容できる体力となっていたことも事実である。

 

 

さて、前置きが長くなったが、こうして歴史的な賃上げが先行することとなった現在、そしてこれから、福利厚生、つまり法定外福利費にはどのような動きが予想されるのか。あるいは企業はどう考えるべきなのか

今回はこのあたりについて考えてみたい。

 

まずは過去の近似した状況での動きを振り返ってみる。それは株価が史上最高値を付けた30年前のバブル期である。

 

1は、1985年から1995年までの10年程度の間での現金給与額(賞与含む)と法定外福利費の対前年比の推移を比較してみた。また、参考情報として名目GDPの確定値も併記している。

当時の推移をみると、賃金(現金給与)がまず対前年比でピークとなったのが1989年であり、1年遅れて法定外福利費の伸び率もピークとなる。1990年に10.01%という大きな伸びを見せた。この10年をみる限りでは、賃金と福利厚生の動きは見事に連動している。

 

つまり、賃金が伸びれば、法定外福利費も伸びるという明確な正の相関関係である。ちなみに1989年末日経平均は38,925円という前回の最高値をつけており、賃金伸び率のピークと同時期となっている。また、名目GDPの動きも、やはりこの両者の動きと連動している。バブルの熱狂的な好景気に沸いた時代である。当時を思い出すと、プールバー付きの豪華独身寮(ビリヤード台付)、ハワイなど海外への社員旅行、海外保養所、果ては新入社員に一戸建てを提供しようという不動産会社まで現れた。今の若い世代の従業員達には信じられない世界だろう。まぁ、そんなバブリーな昭和の風景が再現されるとは思えないが、今日的な魅力ある福利厚生の登場は期待したいものである。

 

「福利厚生費調査(日本経団連)」「国民経済計算」より作成

 

さて、ここで改めて賃金と福利厚生との関係性を考えてみたいのだが、図1で見られたような正の連動性、つまり、賃金が上がれば、法定外福利費も上がるという関係性が妥当なものなのか、あるいはそうではないのか。また、今回、仮にデフレ脱却となったときに再現されるのか。あるいは、企業に総額人件費管理、その配分としてどうすべきなのか。色々と考えてみたい。

 

 

まず、大幅な賃上げが二年連続で実現された現在から、法定外福利費は上昇するのか、という点だが、筆者は上昇の可能性が高いと考えている。

 

その理由の第一は、厚生労働省などの統計値(就労条件総合調査)をみる限りでは、コロナ禍の影響によって様々な福利厚生施策が停止・中止されたことで大幅に減少していた点がある。したがって、収束後、レクリエーションなど通常の施策が回復することで間違いなく法定外福利費は上昇する、というかコロナ禍以前まで復帰する。これは間違いなかろう。

 

では、さらにそこから上昇するか、という点だが、これも上昇を促す要因が多いと考えられる。まずは深刻化する人手不足問題がある。採用力を高めるために、福利厚生の充実を図ろうと考える企業は少なくないのではなかろうか。

 

また、近年、若年層での自発的離職率が高まっている状況がある。彼らを引き留める、つまり定着性を高めるために福利厚生の充実が必要と考える企業が増えてくるだろう。

 

賃上げだけで「採用力」と「定着力」を高め、さらにはモチベーション、エンゲイジメントを得ることは実は難しいのである。必然、福利厚生にも頼らざるを得なくなることは間違いなかろう。

 

この点について、興味深いデータをご紹介したいと思う。それは正社員1658名に対するアンケート調査(2023年)からの分析結果である。

 

調査では、現在の勤務先企業に対する定着意向、貢献意欲、そして満足度を測定した上で、彼らの賃金、福利厚生の状況との相関関係を統計的に検証している。グラフ内の値は相関係数である。

賃金に関しては「実額(前年の年収)」に加えて、「納得度」を設定した。一つは賃金実額に対する納得度、もう一つは、賃金決定の前提となる人事評価に対する納得度である。この三つの賃金関連変数と「定着」「貢献」「満足度」との相関分析をすると、意外な結果かもしれないが、賃金実額とは全く関係性が確認できなかった。

 

つまり、単に高賃金であるだけでは「定着」「貢献」「満足度」に影響はないということになる。しかし、一方で、納得度については二つの変数、いずれも高い統計的な信頼度で正の関連性が確認されている。

いかに、納得できる賃金支払いのプロセス(評価)と水準まで到達できるか、が問われることになる。成果能力主義が浸透しつつある現在、この二つの納得感を得ることはなかなか難しいであろう。

 

 

さて、では福利厚生の方だが、これは「充実度(制度数)」「利用度(本人の利用経験のある制度数)」「地域内で相対優位(同じ地域の他企業と比べての充実度)」「業界内での相対優位(同業界他社と比べての充実度)」のいずれをみても、「定着」「貢献」「満足度」との間に高い統計的な信頼度で正の関連性があることが示された。

 

この結果が示唆するところは、まず賃上げは「納得度」が得られれば、有効な対応であるが、得られなければ単に実額が上昇しただけでは、あまり経営的なメリットはなく、費用負担が増えただけとなる。

 

福利厚生の方が単純に制度を充実させるだけでも一定の効果が期待できる。できれば、地域内、業界内の平均よりも充実させれば効果はより期待できる。そして全体としては言えることは、「定着」「貢献」「満足度」といった効果の極大化を期待するならば、納得度を伴った賃上げと福利厚生の拡充を組み合わせることが最も上策となるのであろう。人件費配分としての最適な「賃金―福利厚生ミクス」を考えることにもなる。

 

 

2 賃金・福利厚生と従業員態度の相関分析

 従業員調査(20-69歳男女個人有効回収数1658   民間企業 正社員/全国)202312月度実査 (科学研究費 基盤研究C 研究課題 22K01649)  山梨大学 西久保研究室

 

 

第二の理由としては、人的資本経営が求められる大きな流れがある。

人的資本への有効な投資によって労働生産性、付加価値生産性を高め、企業価値の増大を図り、そのプロセスを市場に開示せよ、という要請が確実に高まってきている。

 

この動きのなかで、可視化基準(経済産業省)でも示されたとおり、福利厚生が人的資本投資の有効な方策となって注目を集めてくることが確実視される。自己啓発、健康、スポーツなど良好な人的資本形成に対して直接的な効果を期待させる制度・施策が福利厚生に数多くある。この人的資本経営の流れが、結果的に法定外福利費の上昇を後押しすることになるのではなかろうか。

 

さて、先行した歴史的な賃上げに対して、福利厚生がどのような形で追随していけるのか、しばし注視していきたいと思う。

 

この記事の講師

西久保 浩二

山梨大学 名誉教授

 一貫して福利厚生に取り組み、理論と実践の経験を活かした独自の視点で、福利厚生・社会保障問題に関する研究成果を発信している。

<公職 等>
「国家公務員の福利厚生のあり方に関する研究会」座長(総務省)
「国家公務員の宿舎のあり方に関する検討委員会(財務省)」委員
「PRE戦略会議委員(財務省)」委員
全国中小企業勤労者サービスセンター運営協議会委員
企業福祉共済総合研究所 理事(調査研究担当) 等を歴任。


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