山梨大学 生命環境学部 地域社会システム学科教授
西久保 浩二
大企業層を中心に健康経営への関心が高まり、様々な先行企業の取組みが社会的に顕彰されている。
平成26年には経済産業省と東京証券取引所が共同で、「健康経営銘柄」22社を選定・公表したが、この銘柄に選定された企業は、「健康」への取り組みによって企業価値の向上を実現すると考える投資家にとって魅力ある存在となるだろう。また、顕彰された上場企業にとっては、株価の維持・向上に寄与するだけではなく、企業としてのブランディングにも大いに奏功したであろう。既に、本年1月には第2回目の選定も行われ、「健康経営銘柄2016」として選定企業25社が発表されている。
この第2回の255社のうち11社が初選定されており、各社から次々と新たな取り組みが始まっていることをうかがわせる。他にも平成20年から日本政策投資銀行が「DBJ健康経営格付」と称し、従業員の健康への配慮の取り組み度合いに応じて有利な融資金利を設定するという有り難い支援制度を発足した。企業にとっては実利的効果が得られる機会が提供されることとなり、投融資実績も順調に伸びてきている。
このように大企業層が先行して健康経営を牽引する現状だが、一方でわが国全体の企業数の99%以上を占めている中小企業ではどうなっているのだろうか。実は、昨年秋にその実態を明らかにする調査が発表されている。
それは、「健康経営の啓発と中小企業の健康投資増進に向けた実態調査(中間報告:平成27年10月発表)」である。これは、経済産業省 商務情報政策局 ヘルスケア産業課が、全国約10 都道府県の中小企業約1万社を対象として実施した大規模調査である。調査方法がユニークなもので、事前に健康経営に係る講座(健康経営講座のβ版)を受講し基礎知識を習得した中小企業診断士等の経営支援者、生命保険会社等の金融機関職員等が調査員となって、アンケート方式で行われている。回収が難しいとされる中小企業層に対する調査としては有効な対応となったようで918社からの回答を得ている。
この調査から中小企業の健康経営への取組みの実態が明らかになってきている。いくつか代表的な結果をご紹介してみたい。 まず健康経営という言葉そのものに対する認知度である。「健康経営という言葉をご存知ですか?」という問いかけに対して、結果は図表1のとおり、きわめて低い認知度となってしまっている。更に、「内容を知っている」層が13.3%程度で、その中で取り組んでいる企業は3.7%と極端に少ない。「内容は知らない」とする割合は実に86.2%と大半を占めていることがわかる。
今や流行のキーワードともいえる「健康経営」だが、中小企業にとってはまだまだ無縁の世界となっており、その温度差に驚かされる。なお、上場企業に対して健康経営の認知度を調査した別の結果を図表2に紹介するが、上場企業においては、2013年時点で「内容まで認知」「見聞きしたことがある」とする割合をあわせると8割を超えている。
図表1 中小企業の健康経営への認知度
同調査中間報告資料 別紙2/1ページより抜粋
図表2 東証 1 部上場企業の健康経営の認知度
「健康経営センサス調査」ヘルスケア・コミッティー(株)・(株)日本政策投資銀行・(株)電通(2013)より抜粋
こうした認知度の低さを反映した結果とも考えられるが、実際の法定外福利費における「医療・健康」関連費用も低水準に止まっている。また、企業規模間での格差もかなり大きい(図表3)。
左図は「就労条件総合調査」である。最小規模の「30-99人」の企業層では「医療保健に関する費用」の従業員1人あたりの月額平均費用が517円となっているが、「1000人以上」規模では1605円と3倍近い差となる。また現金給与との対比でも、前者が0.2%であるのに対して、後者の大企業層では0.4%と2倍の差がある。実額での格差は、中小企業層の財政的な厳しさを投影した結果ともいえるが、対現金給与比での格差は、この健康経営という経営課題に対する情報の乏しさや関心の低さを表しているものと考えられる。
日本経団連加盟企業を中心とした比較的大企業層を対象とした調査である「福利厚生費用調査」でも規模別に同指標を算出してみている(右図)。5つの規模階層で比較しているが、一律的ではないが規模間格差は読みとれる。特に最大規模層の「5000人以上」では、従業員1人あたりの月額費用が3246円とかなりの高水準で、現金給与との対比でも0.6%と突出している。まさに、健康銘柄、健康格付け等にチャレンジしようとして健康経営に先行的に注力している実態が現れているともいえよう。
図表3 健康・医療関連費用における規模間格差
左図:平成22年就労条件総合調査結果(厚生労働省大臣官房統計情報部 n=4296)
右図:2014年度「福利厚生費調査」(日本経団連 n=645)
いずれにしても、わが国の企業社会の大半を占めている中小企業層が未だ健康経営の重要性について十分な理解がなされず、関心も高まっていないとすれば、それは大きな問題であると言わざるを得ないだろう。
まず考えられる問題としては、社会全体としての医療費負担の抑制効果が十分に得られず、医療保健制度の持続可能性に悪影響を与えかねない点がある。冒頭で日本の企業数として全体の99%以上と述べたが、従業者数でも日本全体の約7割、2800万人程度が中小企業に勤務しているのである。この多数派において職場での十分な健康管理がなされていないとすれば、社会的に大きな機会損失となることは間違いない。
実際に、中小企業での健康管理の不十分さを示唆するデータがある。厚生労働省が発表している定期健康診断における企業規模別の有所見率に明らかな差異が観測されている(図表4)。「50人以下」「50-99人」といった従業員規模の中小企業層では56%程度の有所見率と高水準だが、「1000人以上」では38%程度となっており、両層で大きな較差が出ていることがわかる。現在、この定期健康診断の有所見率は長期的に上昇傾向を示しており、懸念されているが、その上昇要因の重要な部分が中小企業での健康管理への取組の立ち後れがあるのではないかとも予想させるデータである。
図表4 規模別の定期健康診断有所見率(平成25年)
筆者は若い時期に中小企業診断士として都内の数多くの個人企業、商店街の診断業務等に関わったことがあるが、零細企業において経営者や中核社員が健康を害して戦力外となってしまうことの経営にとってのリスクの大きさは、大企業に比較できるものではないと思えてならない。人材採用が難しく、多様な業務を兼務して活躍している多能工型の社員が多い中小企業で、健康問題で頼りにしている社員が職場を離脱するとたちまち売上げの減少、金融面での信用問題化等々が発生し、その悪影響の深刻さは、まさに経営危機となる。
CSR(企業の社会的責任)や医療保健制度の持続性といった社会的な次元の問題ではなく、より切実な、企業の存続そのものに関わる経営問題なのである。このリスクの大きさにも関わらず、十分な取組がなされていないことは残念な実態といわざるを得ない。東京商工会議所では中小企業向けに「健康経営のすすめ ヘルシーカンパニーを目指そう(平成25年)」という啓蒙資料を作成して関心の高まりを促しているが、実態としてはなかなか進展していないようである。
先進的な大企業層が健康経営に積極的に取組み、様々な経営的効果、社会的効果を実現する中で、そこで蓄積されたノウハウを集約し、より取り組みやすい、効果の見えやすい仕組みとして中小企業層にまで幅広く拡張、浸透させていくことが求められていると考えられる。日々の資金繰りや人材不足で苦悩している中小企業にも取り組みやすいシステムの提供が急がれているのではなかろうか。
西久保 浩二
山梨大学 生命環境学部 地域社会システム学科 教授
一貫して福利厚生に取り組み、理論と実践の経験を活かした独自の視点で、福利厚生・社会保障問題に関する研究成果を発信している。
<公職 等>
「国家公務員の福利厚生のあり方に関する研究会」座長(総務省)
「国家公務員の宿舎のあり方に関する検討委員会(財務省)」委員
「PRE戦略会議委員(財務省)」委員
全国中小企業勤労者サービスセンター運営協議会委員
企業福祉共済総合研究所 理事(調査研究担当) 等を歴任。
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