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3.11 から何が変わるのか、そして福利厚生は?

山梨大学 生命環境学部 地域社会システム学科教授
西久保 浩二

しかしまぁ、今更このコラムで書くほどのことでもないのだが、冒頭からのいきなりの蛇足としてお読みいただきたい。

わが国の政治家という方々の思考と生態というのは奇々怪々なものであることを、つくづく思い知らされる。震災以来のドタバタ劇はご当人たちには興奮できる政治ドラマであるかもしれないが、傍観する我々からするとまさに三文役者ばかりの喜劇、いや、本当は国民としてかなりシリアスな悲劇なんでしょうね。

ま、元々大した期待もしていなかったので失望感もそこそこ慣れた感覚でもあるのだが、震災というわが国にとって歴史的な危機状態が続くなかで、日本経済の復興を急がねばならない時期としてはいつもにも増した苛立たしさを覚える昨今であります。ワイドショーを聞きながらの朝飯のなんとまずいこと。最近は女房殿まで「何やってんの!?」とお怒りのご様子のわが家であります。


それでも救いなのはわが国の企業経営者の多くが賢明であることであり、迅速に的確な対応を進めていることを見聞きするにつけて、対照的に安堵感をより強くする。経団連会長が現政権の重要(?)会合をすっぽかすという記事を読んで「いいねぇ、ふむふむ」と頷くばかりである。この痛烈なメッセージすら冒頭の御仁たちにはあまり伝わらないのであろうけど。もう少し、これは蛇足の蛇足となるが付け加えたい。

政治的迷走を続け経済も瀕死の状態にまで落ち込んでいた韓国において、大統領が企業経営の経験者に替わったとたんに同国の経済が活性化し始めた。明確な成長戦略の下に古ぼけた歴史問題やイデオロギーから抜け出して、というか見事にスルーして一国をあげての産業振興、新興国市場での自国企業の競争優位を後押しする政策を矢継ぎ早に展開した。いやいや、ライバルでもある隣国だがその手腕たるや見事なものである。率直にいって賞賛するしかない。もっと率直に言うと、あぁ、羨ましい、妬ましい。

早くわが国も大統領制にして孫さんあたりが立ってくれませんかねぇ。このアイデアは多くのビジネスマン諸兄にご同感、ご賛同いただけるのではなかろうか。

さて、そろそろ字数水増しがバレバレの蛇足シリーズはこれくらいにして本論にはいりましょう。
「3.11から何が変わるのか、そして福利厚生は?」今回のこのテーマは前回号以来ずっと思案投げ首、暗中模索。あれやこれやと友人たちにも聞き回って、ビール飲みながら喧々諤々盛り上がったのである。以下、その調査結果をひとくだり。

まず、「何も変わらないよ」という勢力は意外と多かった。エネルギー政策などは大きく転換することを余儀なくされるだろうが、その被害がどれほど甚大・悲惨なものであったとしても、日本のあり方・日本人のメンタリティ・価値観・そして日本企業の強さが自然災害などによって大きく変わることはないとする力強いご意見。

確かにこれまでだって、時間を逆に辿ると阪神淡路大震災、新潟県中越地震、東日本大震災などの自然災害、リーマンショック、バブル崩壊、オイルショック、ドルショックなどの大きな経済危機、何より世界大戦での敗戦、そして焼け野原、といろいろと「もうダメか」という辛い事があったが、それでも日本人・日本経済は、その困難をなんとか乗り越えて元来のメンタリティ・価値観・生活を維持してきたという御説である。いやぁ、ごもっとも至極。そうありたいものである。

反対意見となる「日本は変わる(変わるべきだ、も含めて)」「日本人も変わる(変わるべきだ、も含めて)」という主張も強い。というか現状では多数派なのでしょうか。先の「変わらない」というのは一様、不変な話なので楽なのだが、もう一方の「変わる」というのは実に多様な話になる。どう変わるのか、どの方向に向かって変わるのか、様々な意見がある。それも大胆に集約してみると悲観論と楽観論に大別できそうだ。

まず、悲観論の代表は「これで日本はもうダメだ。三流国に真っ逆さまだ。」的なものから「かつての隆盛はこれで収束した」程度の穏健な表現のものまで幅広くあるようだ。確かに、大地震、大津波、そしてメルトダウン、とこれでもかともたらされた痛撃に、日本経済は敗戦以来大きなダメージを受けたとの認識は事実であろう。

実は敗戦時は、欧州諸国、アジア諸国ともに被害を受けていたという意味で同条件での再スタートであったという点で、今回よりもマシであったという話だ。ましてや今、アジアは世界の成長センターとして大きなビジネスチャンスの宝庫として眼前にある。この絶好のタイミングでのわが国単独での大きなダメージは、歴史として取り返しのつかない遅れとなってしまうのかもしれない。

特に“安全安心”やカンバン方式に代表される“管理能力の高さ”をキーコンセプトとしてきた日本のブランド、日本の経営力にとって、遅々として進まない震災復興事業のマネジメントなど悪いニュースが次々と露呈する震災対応などは致命的なイメージダウンとなったであろうことが痛いところである。

一方、変化に対する楽観論者の方々のご意見を集約すると、「忘れかけていた日本人の不屈の魂が蘇るぞ~」的、やや懐古趣味的な再生型成長論の流れがひとつ。後は、今回のわが国の災難に対する各国の予想外の支援の実態に驚いて、「こんなに世界に愛されていた日本!」から発想されるもので、きっとこれからはもっと世界のリーダーとして活躍してゆけるぞ、という若干根拠には乏しいがグローバル応援型といった感じもある。

いずれにしてもこの大震災を災い転じて福と成すという成長論、楽観論は魅力的なものではある。都知事が震災直後に「日本人のアイデンティティーは我欲。この津波をうまく利用して我欲を1回洗い落とす必要がある。やっぱり天罰だと思う」と発言した。各所で反発を招いて取り消すなど一騒ぎになったが、政治家として哲学的に明確な論評をしたのはこの人だけだったねぇ。この発言は悲観論なのか楽観論なのか難しいところではある。筆者の個人的な解釈は、新しく再生できるというメッセージであって、厳しい楽観論ではなかったかと思うのだが、読者の皆様はいかがですかな。

さて、難しいのはわが国の福利厚生がどうなるのか。変わるのか、変わらないのか。つまり「不変論」で良いのか。「変化論(悲観か、楽観か)」を前提とすべきなのか。いずれの立場から、考えるべきなのだろうかということだ。筆者のポジションはというと、ずるくて申し訳ないのだが正直なところ「わからない(中立)」なのである。予言能力に乏しい非力な研究者をご寛恕いただければと思う。もちろん、期待というか希望は当然、「変化論(楽観)」ではあるのだが。

ということで、期待・希望論をベースにしながらも、できるたけ客観的、論理的にいろいろな角度から考えてみたいと思う。やはり、震災に伴う事業構造の変化が雇用や処遇に対して全体的にどのようなインパクトを与えるかという点から考え始めなければならないだろう。

まず、多くの日本企業は、今回の東日本の事態を新たなリスク・マネジメント問題として捉えている。それが、西日本や沿岸地帯から移動などの事業所分散論であったり、アジアへの生産拠点の移転・分散論の加速へとつながっている。自動車産業、電子産業などの“ものづくり系”を代表例にして、サプライ・チェーン問題が深刻であったことから、部品納入の取引先などもそれまでの一元論から急に多元化論が復活してきている。

その流れか、韓国の中小企業が日本企業からの部品納入の引き合いで特需に沸いているという報道も伝わってくる。この他にも、電力不足という二次的災害が業務運営に大きな支障をもたらすことから、自家発電論や自然エネルギーを使った大規模な対策案なども出てきている。新たに防災担当を置く、既存の担当者の増強、権限委譲などの人的対応の動きもある。

これらの一連の動きの副産物として、雇用の移転や縮小が懸念されている。被災地だけで失業者が30万人を超える予測とされ、加えて直接被災しなかった地域の雇用にまで悪影響が拡がりつつある。上記のサプライ・チェーンの一部、国外流出、需要減少などが原因である。同時に、雇用の復興時にはリスク・マネジメントの観点から非正規化が進むのではないかとも考えられる。

その一方で、首都圏の小売業や地方の地場産業・農業・水産業などで、外国人労働者が放射能を怖れて大量帰国したことで深刻な労働力不足となっている。主に夜間での労働を託されていたアルバイトなどが逃げ出してしまい、フランチャイジーの本社社員がチームを組んで代替要員として出動している。

筆者の友人の子息も某牛丼チェーンの豊島区内の店舗で深夜までかり出されている。また、大学でも同様の動きがあり、筆者の大学でも工学部に多くのアジア系留学生たちが修学しているが、その多くが「帰りたいコール」で担当教官は引き留めるのに苦労されている。やはり、情報提供が不十分なのである。本人だけでなく保護者に対しても丁寧な対応が求められている。

外国人の研修生・実習生は現在、五万人程度来日しているが、その多くが現業職として勤務している。周知のとおり低賃金であることや地理的な問題もあり一部は国内での非正規雇用が受け皿となるだろうが、先の雇用縮小に対する完全な代替機会とすることは難しい。事業の円滑な運営に支障が出てきている。

ざっと見ただけだが、このような動きを総括すると今回の震災のインパクトが雇用の縮小と分散、さらには非正規化の加速などの影響をもたらすことが想定される。ある意味では雇用構造の歪さ、硬直性、脆弱さを直撃したともいえよう。政治の無策というのはこういう危機の際にこそ露出するものなぁ。

さて、では福利厚生はどう変わるのだろうか。それが短期的・一時的なものか、長期的・構造的なものかまでは断定できないが、まず企業の「リスク」に対する感応度の上昇、従来は“想定外”として放置していたリスクに対してまで「備え」を行おうとし始めた点。これは明らかにマネジメント・コストの上昇を招く。

しかも、やはり千年に一度の大震災に備えるコストというのは費用対効果というか、投資効率が良いはずがない。安心代となるのである。このコスト上昇が他の費目に影響を与えることが当然想定される。法定外福利費にもその影響は及ぶだろう。

一方、雇用の縮小・移転、非正規化も従属的に法定外福利費総額の縮小をもたらす可能性があり、リスク対応のコスト上昇分を吸収できれば従業員1人当たりの水準の維持に寄与できる可能性もあろう。コストとは違う観点から考えてみると、節電に伴う勤務時間の変化も福利厚生に対する需要に影響を及ぼすのではないかと考えられる。

各社・各産業で対応が異なるので単純な議論は難しいのだが、例えば夏季休暇の長期化などはレクレーション施策や自己啓発施策など利用が拡大する可能性があろう。サマータイムの導入なども同様の影響が想定される。休日出勤などで電力消費の平準化が図られるとなれば、休日での給食サービスやその他諸々の福利厚生対応が求められることになる。このような労働時間の変化は従業員のストレスを高める方向に作用する可能性もあり、メンタルヘルス面での予防・ケアに配慮される必要があろう。

短期的な働き方の変化によるストレスだけではなく、長期的な生活不安が高まっているように思われる。被災の悲惨な映像が流される度に「未来にはどんな悲劇が起こるか誰にもわからない」といった漠然とした不安感を持たざるを得ないし、節電の話も楽しい話ではない。駅やショッピング・モールが昼間から薄暗く、夜のネオン街まで暗くなると何やら暗鬱な気分になる。それまで明るすぎたんだと割り切れれば良いのだが、消された電球を見ると元気のない日本を象徴しているようで辛いものである。

ま、グチっぽい話はこれくらいにして、いずれにしても福利厚生に対する需要の質的・量的変化は様々な形で起こるのではないかと考えられる。適時適切、迅速な対応が期待される。そしてより効率的・効果的な制度編成と運用が求められてくるだろう。

最後にもう一言。福利厚生は昔から“絆”という言葉がキーワードになってきた。一期一会、運命と言いかえてもいいかもしれないが、偶々出会って一緒に仕事をすることになった企業と従業員、そして従業員と従業員との間の“結びつき”を大切にしようということである。絆を意識できれば、助け合う、譲り合う、そして力を合わせて頑張ろう、困ったときには救済の手をさしのべ合おう、という社会的紐帯が創られる。

筆者は震災時には大学にいて、慌てて館外に飛び出して、その場ですぐ家族とゼミ生、ゼミOB生、元の職場の友人たちに安否確認のメールを送った。そして家族や友人たちのことを、申し訳ないが、久々に真剣に「大丈夫か」「元気か」ということで声をかけなくてはいられなかった。失いそうになってはじめてその社会的紐帯の価値を再認識できたということだろう。

そうした貴重な機能が福利厚生にはある。日本人の元来からの相互扶助、弱者救済といった心性が体現されたものであるが、その機能が現在の福利厚生にあることはその生成過程からも明らかである。ACの絨毯爆撃のような洗脳広告の影響もかなりあると思うのだが、福利厚生によって“絆”が強くなることが、日本企業の再生や復活に寄与できるのではないかと今は期待するばかりである。

この記事の講師

西久保 浩二

山梨大学 生命環境学部 地域社会システム学科 教授

 一貫して福利厚生に取り組み、理論と実践の経験を活かした独自の視点で、福利厚生・社会保障問題に関する研究成果を発信している。

<公職 等>
「国家公務員の福利厚生のあり方に関する研究会」座長(総務省)
「国家公務員の宿舎のあり方に関する検討委員会(財務省)」委員
「PRE戦略会議委員(財務省)」委員
全国中小企業勤労者サービスセンター運営協議会委員
企業福祉共済総合研究所 理事(調査研究担当) 等を歴任。

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