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福利厚生の効果、賃金との比較

山梨大学 生命環境学部 地域社会システム学科教授
西久保 浩二

 

リーマンショックの爪痕


年末になって、例年の日本経団連の「福利厚生費調査」の速報をいただいて、驚いた。法定外福利費がこの調査の長い歴史のなかで、最大の減少率、下げ幅となったからである。従業員1人当たり月額で25,960 円。これは、対前年度比マイナス6.2%という大きな落ち込みである。

1996年に29,756円でピークアウトした後、ほぼ減少傾向を続けてきたのだが、微減状態を維持してきた。しかし、おそらくリーマンショック後の急激な景気後退のインパクトによるものかと思われるが、ドスンと落ち込んだことになる。

ただ、救い(というか、何というか)は今回のコスト削減が法定外福利費だけをターゲットとしたものではなかったことである。現金給与の落ち込みは法定外福利費以上に大きく、対前年でマイナス6.9%となった。法定福利費も給与と連動する構造であるから当然だが、マイナス5.5%と同様の減少となる。

近年の福利厚生費の動き


こうしたコスト削減行動を現場的にみるとどうなっているのだろうか。給与については従業員1人当たりの平均値計算のためリストラ(雇用調整)は関係ないので、残業抑制や賞与の削減などが主たる方策だろう。現在の所定外賃金はだいたい全給与の7%程度だから、これをゼロにした感じが今回の削減率となる。みんな、定時退社で、ワーク・ライフ・バランス万歳~!!なんて感じではないでしょうね。

法定福利費は、その大半を占める健康保険、厚生年金の保険料がそうした月例給与に連動するので、自動的に減少する。しかし、法定外福利費については、給与と同様に意図的な削減行動によるものである。まずは、レク活動の自粛あたりだろうか。社内旅行が去年の北海道から、熱海に。熱海のはずが、近くの大江戸温泉に、あるいは高級居酒屋の日帰り宴会に。

さらに、高級居酒屋が270円の定額居酒屋に。さらに、それが会議室で、持ち帰り総菜と缶ビールに(ちょっと、しつこい)。と、うーん、これが正しい環境適応行動である。あと、すぐにやれることは何だったんだろうか。福利厚生関連も最近は結構、固定費化しているので、急激な削減はなかなか難しいはずである。

今回の日本経団連調査で法定外福利費の細目をみると「被服(-17.3%)」「持家補助(-16.4%)」「共済会(14.6%)」「購買(-13.8%)」あたりが大きく減少している。被服は制服のリニューアルの見送り、持家補助はカフェテリアプランでのローン充当上限の引き下げ、共済会は会社補助率の低下、といったあたりの対応だったのだろうか。

かなり、前振りが長くなってしまったが、今回は、福利厚生の経営的効果について述べたいと思う。なぜかというと、たかがリーマンショックくらいで(というと本気で怒られるが)福利厚生費をいとも簡単に削減してしまうのか。という空しい現実を、つらつらと考えたときに、結局、福利厚生がもたらす経営的効果についての認識が希薄か、あるいは確信がないためだという結論に達するからである。

制度の削減・縮小が、戦略的な制度の組み替えによるものでない限り、そのことによるコスト削減効果と、同等か、ひょっとしたらそれ以上の効果を失っているという点をまずは認識する必要があるのではないだろうか。もちろん、近年のようなジェットコースター的な経営環境の激変時代に、法定外福利費を安定的に残していくべきだ、なんて無茶な主張をする気などさらさらない。

必要に応じて、人件費削減策のなかで手を付けることは避けられない。もっと言わせていただければ、現在の法定外福利費などは半減してもよいかとも思っている。しかし、現在の経営的効果の維持、あるいはそれ以上のものが得られる、という前提条件が満たされるのならば、である。金額だけの問題ではないのである。

どうも、日本企業は人件費に関するコスト削減に戦略性がない。どこかの悲しい政府みたいに“10%一律削減”なんていう手抜き対応が平気でまかり通ってしまう。効果との関係性を無視している。1000万円の削減が必要であるとしたときに、いくつかの削減代替案があったとしよう。このときにはそれぞれの代替案の執行によって、失われる経営的効果が最も少ないものから優先的に選択すべきであろう。

逆方向でも当然である。余裕ができて、再配分できるようになったときにどの制度・施策から回復させるべきか、というときにも同様の話になる。福利厚生がこうした優先順序問題に直面したときに、優位なのか、劣位なのか。つまり、コスト削減に伴うリスク(効果の喪失)が大きいのか、小さいのか。ここが重要なポイントになる。 このような観点を踏まえながら、福利厚生の効果について考えてみよう。

福利厚生の経営的効果に関するこれまでの議論


福利厚生制度の人的資源に対する経営的効果については、わが国ではこれまでワークモチベーションの観点から数多くの議論がなされてきた。

太田(1994)は「手厚い福利厚生制度によって安定して生活を保障する。それらは主として低次欲求、衛生要因を満たすものとして消極的な意味で動機づけにつながる」とし、また、土屋(1979)は「企業の中で充足される個人の欲求の数が多いほど、(企業と個人との)一体化は強まる」とし、「日本の企業、とくに大企業の中で一般的に見られる広範囲の福利厚生施策と社用交際費の使用など、さまざまな形でのフリンジ・ベネフィットが、企業の中で充足されるべき欲求の数を増大させた」と述べている。

ここで議論されている欲求とは、時代背景からするとマズロー流で言えば、比較的、低次のものであろう。衣食住、安全・安心等の生理欲求、安全欲求を中心に、せいぜい所属欲求あたりまでを視野に入れている(図2)。

高度成長期の日本企業は、新入社員に小綺麗な賄い付きの独身寮、社員食堂、保養施設などを提供して、生理的欲求を即座に満たし、そのことで従業員としてより高次の欲求、つまり「所属欲求」、「自己尊敬」、「自己実現」といったものに向かわせた。

これらの高次欲求こそが企業への忠誠心を高め、企業の生産性に直結する行動を誘因するものとなったわけである。いわゆる“会社人間”、“企業戦士”が誕生するプロセスといってよい。「うちの会社に、家族の衣食住や老後の事は、まかせておけば安心だ、だから仕事だけに集中できるぞ~!」という時代である。

福利厚生と従業員の欲求階層


福利厚生は現物給付性などの特性を活かし、従業員の欲求充足過程/生活問題の解決過程を直接的に支援することで従業員と勤務先企業との一体感、換言すれば、組織コミットメントの形成にも寄与したと考えられる。

この点について八代(1998)は「日本的経営システムの結果、従業員にはきわめて強力な組織コミットメントが形成され、これが日本経済の成長を支えてきた」とし、また、田尾(1997)は強い組織コミットメントをもつ「会社人間」の研究から「わが国の経済成長は、正規従業員用に膨大な量の組織コミットメントを調達することによってなし得た」と指摘するとおりである。

また、江(2001)が強い組織コミットメントをもつ「会社人間」の形成プロセスを検討するなかで「手厚い福利厚生制度の範囲の広さも日本企業の特徴である。社宅・寮、住宅ローンや各種の手当てなどに象徴されるように、個人の全生活領域に企業が深く関与している」と指摘している。

賃金との効果比較研究


福利厚生の経営的効果に関しては、長らく取り組んできた。一体、福利厚生なるものが人的資源管理上、有効なものなのか、投資する価値があるものなのか。当初から疑問を抱いていたからである。特に着目したのは、同じ報酬制度であり、十数倍のコスト総額を要している「賃金」との相対的な優位性が存在するかどうかについてである。

経営的効果も多様に存在するが、筆者は基本的には、従業員の「定着性」「モチベーション」といった基本的な態度形成に対する福利厚生の貢献可能性について検証を行ってきた。


福利厚生の実施数と自発的退職率


例えば、図3は1998年に行った、1300社の企業調査のなかから、各企業の福利厚生制度の実施数(種類数)と直近の単年度の自発的離職率、全体退職率との因果関係の検証を行ったものである。この際には、賃金水準(男性の標準昇進者)も変数として投入して、福利厚生との比較ができるように設定した。

結論だけを申し上げると、福利厚生制度の実施数(種類数)は、高い信頼水準で、自発的離職率を抑制する効果が確認された。同様に、賃金水準も福利厚生を上回る信頼水準で、抑制効果があることが確認された。両者の影響力は互いに独立的なものであることから、二制度の充実が最も自発的退職率を抑制することが示唆された。


福利厚生、賃金、退職金と定着性、勤勉性、貢献意欲


図4は、ほぼ同時期に行った従業員調査から、従業員態度として「定着性」「勤勉性」「貢献意欲」の形成に福利厚生が有効かという点について、首都圏在住の正社員600名弱の標本に基づいて検証を行った。ここでも、標本当人の前年度の賃金額と、予想している受取退職金を変数として加えて、福利厚生との有効性の比較を試みた。

結論としては、「定着性」「勤勉性」「貢献意欲」のいずれの態度形成に対しても福利厚生の利用経験数が信頼できる影響力を有していることが確認された。賃金もいずれに対しても、有効であった。勤勉性、貢献意欲に対しては、福利厚生以上に高い信頼水準での因果関係が抽出されている。予想退職金は「定着性」に対してのみ影響力を有していた。

このような定量調査をベースにした福利厚生の有効性に関する実証研究に他にもいくつかやってきたのだが、いつも結論はほぼ同様で、福利厚生の経営的効果への明確な影響力が検証され、同時に比較対象する賃金も、福利厚生と同等か、それ以上の影響力を有する存在であることが確認されてきた。

実務的な含意を導くとすれば、企業としては福利厚生と賃金のバランスの取れた充実化が、定着性やモチベーションなどの経営的効果を最大化させる対応であるということになる。しかし、この確信に近かった結論が、最近行った2007年調査の大規模なデータ(正社員2052名)での再検証によって、大きく揺らぐこととなった。

図5がその結果である。先の1998年の従業員調査の枠組みと同様だが、より大標本でかつ、個人属性(年齢、性別、未既婚等)の影響力を排除する形で精緻化した。因果分析として、福利厚生の効果を「定着性」「貢献性」「勤勉性」という態度測定データを置いて、それらに影響を及ぼす要因として、各標本本人の「利用経験のある制度数」「賃金(昨年度の給与収入)」を投入した。

この分析結果の最大の発見は、過去の分析であれほど強い影響力を見せていた「賃金」に「定着性」「貢献性」「勤勉性」等の態度形成に対する影響がほぼ消失していたことである。唯一、統計的に許容できる範囲の信頼性をもった影響力は「貢献性」に対するそれだけであった。 何度か、手法も変えて試みたが、この結果が変わることはなかった。 この大きな変化をどう解釈すべきなのか。

一方で、福利厚生については従来通り、いずれの態度形成にも高い信頼度での明確な影響力を有することが確認されている。つまり、利用経験の多い従業員ほど、定着意識が高く、勤勉な勤務を志向し、勤務先企業に貢献しようという意欲が高い。分析手法の特性からすると、年齢や性別等の影響が除去されているという点で、より純粋な福利厚生の効果といえる。充実した福利厚生の恩恵を受けることで、良好な態度形成が促進されている。


福利厚生、賃金と定着性、勤勉性、貢献意欲


さて、賃金での影響力の喪失の解釈だが、難しいところである。 筆者の解釈ではおそらく、「定着性」「貢献性」「勤勉性」などの態度形成に対する促進的な影響力を喪失した原因の一つと考えられるのは、「成果業績主義」と「個別化」の浸透ではなかろうか。この両者の動きは、従業員個人が自らの労働内容や成果が賃金水準に直接的に反映されることを意識させられ、対価性の認識を否応なく明確にさせる。

この対価性というのは「オレが働いただけの分をもらったんだ」「仕事の成果だから、これだけの賃金をもらって当然だ」という感覚で、勤務先企業に対する感謝や返報性心理の発生にはなかなかつながりにくい。集団型賃金の年功賃金と対称的なのである。ましてや、近年の賃金全体での低下傾向からすると、対価性の認識は不満形成を助長しているとも考えるのが自然だろう。

福利厚生の水準も低下しているが、個別化されておらず、また、自らの労働の対価という認識には至らず「会社が自分たちのためにやってくれている」という感覚はそれほど大きく失われていないものと考えられる。育児・介護支援、メタボ対策、ヘルシーメニュー、所得補償保険等々、様々なリスク支援やセーフティネットを用意してきたのである。

この結果をみる限りでは、近年の賃金と福利厚生、両者の「定着性」「貢献性」「勤勉性」という経営的効果を基準とした比較優位性は、後者に軍配が上がるという話になる。ましてや、福利厚生は、投下費用をみたときに大企業層でも現金給与の5%弱でしかないことからすると、コスト・パフォーマンスが相対的にかなり高まったとみることもできるだろう。

ただ、注意を要する点は、ここで使用した福利厚生の利用度という実態だが、従業員間での格差が大きいということ。また、利用度の高い効果を得ている従業員が必ずしもハイパフォーマ(高業績者)ということでもなんでもない。つまり、定着性や貢献性の貴重性についての、吟味が成された議論ではない。

賃金が成果業績主義の下に、厳しい個人評価管理がなされることと対照的に、福利厚生のもつ平等主義や弱者救済主義に基づく運用が、従業員からみると一種の“ムチとアメ”のような捉えられ方がなされているのかもしれない。すなわち、両者がより対比的(これを、コントラスト効果という)なものとする認識に変わることで、福利厚生の活用の意義が高まっているのかもしれない。職場の活力を長期に維持するためには「癒し」や「助け」も必要なのではなかろうか。

  • 参考文献
  • 太田肇(1994)「日本企業と個人-統合のパラダイム-」白桃書房
  • 江春華(2001)「ハイコミットメントモデルの有効性についての考察」 『現代社会研究 No.21』pp.107-124
  • 厚生労働省(2006)「就労条件総合調査」厚生労働省大臣官房統計情報部
  • 土屋守章(1979)「企業と社会 いわゆる日本的経営との関わり」『企業と社会』 pp.261-293 東京大学出版会
  • 田尾雅夫(1997)「「会社人間」の研究 -組織コミットメントの理論と実際」初版 京都大学学術出版会
  • 西久保浩二(2004)「戦略的福利厚生 -経営的効果とその戦略貢献性の検証-」社会経済生産性本部
  • 西久保浩二(2008)「進化する福利厚生 -新しい使命とは何か-」労務研究所
  • 明治安田生活福祉研究所(2007)「人口減少社会における企業の福利厚生制度のあり方研究会 定量調査」報告書
  • 八代尚弘 (1998) 「人事部はいらない」講談社



この記事の講師

西久保 浩二

山梨大学 生命環境学部 地域社会システム学科 教授

 一貫して福利厚生に取り組み、理論と実践の経験を活かした独自の視点で、福利厚生・社会保障問題に関する研究成果を発信している。

<公職 等>
「国家公務員の福利厚生のあり方に関する研究会」座長(総務省)
「国家公務員の宿舎のあり方に関する検討委員会(財務省)」委員
「PRE戦略会議委員(財務省)」委員
全国中小企業勤労者サービスセンター運営協議会委員
企業福祉共済総合研究所 理事(調査研究担当) 等を歴任。


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