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福利厚生投資がもたらす、もうひとつの貴重な資本

山梨大学 生命環境学部 地域社会システム学科教授
西久保 浩二

近年、日本企業に対して人的資本開示を求める動きが拡がっている。しかし各社、市場に対して何を開示すべきなのか戸惑うケースが少なくないようだ。確かに、自社の人的資源管理の内容を公表するという経験値に乏しい企業はその対応に苦慮するのは当然であろう。

また、そもそも人的資本であれ、人的資源であれ、それらは企業にとって重要な競争上のリソース(経営資源)となる。

 

それは戦略論者であるBurney(1991)が既に指摘したとおりである。

彼は、企業内部の経営資源に競争優位の源泉を求め、その資源が競争優位の構築上有効かを分析する際の視点として、

  • 経済価値(Value)
  • 希少性(Rarity)
  • 模倣困難性(In-imitability)
  • 組織(Organization)

の4つ特性の重要性を指摘した。これは頭文字をとってVRIOフレームワークとも呼ばれた。

この経営資源を基点とする戦略策定の発想はRBV(Resource Base View)と略称され、それまでの戦略論の定番とされたPorter(1980)とは一線を画する、新たな有効な戦略を構想する手法として、一定の評価を得たのである。

 

この4つの視点の中でも特に模倣困難性(In-imitability)の独創性は注目された。すなわち、他社に容易に模倣されるようでは、短期的には競争優位を築けても持続的な競争優位にはつながらないからである。人的資源というリソースはまさにこの模倣困難性を具現する最も典型的な経営資源とされている。

となれば、必然的に人的資源の育成、管理、活用、つまり企業の投資に基づく人的資本の形成過程に関する実態は他社からの模倣を抑止する意味でも秘匿性が求められる情報とも考えられる。いわば、企業秘密の一種ともいえる。

 

日本企業の多くが、人的資源、人材と同値の人的資本に対して様々な投資活動を行ってきたことは間違いない。福利厚生もその1つで法定外福利費を通じて長年にわたり多額の投資を蓄積してきた。

これを開示しろ、と市場は求めているわけである。ずいぶん無理筋の話ともいえなくはない。悩ましいところである。

 

ここで、上記の模倣困難性を備えたもうひとつの資本形成、特に福利厚生によって、その形成を促されてきた資本概念をご紹介したい。

すなわち、福利厚生には個々の人的資本への投資だけではなく、もうひとつ貴重な総体的な資本といえる「社会関係資本」と呼ばれる資本への投資で成果を上げてきたと考えられる。

 

社会関係資本(Social Capital )という概念は比較的近代になって登場した新しい資本概念である。社会学者であるPutnam(1993)による実証研究を踏まえた提唱がなされたことで、2000年代初頭には社会学をはじめ、経済学、政治学、教育学等の社会科学分野で幅広く受け容れられ、活発な議論で展開された。

 

定義として、Putnam自身は「調整された諸活動を活発にすることによって社会の効率性を改善できる、信頼、規範、ネットワークといった社会組織の特徴」とした。

Putnamの代表作である『孤独なボウリング―米国コミュニティの崩壊と再生』のなかでは、米国の地域社会のなかで人々が毎週定刻に集まって相手を変えながら一定期間内にチーム戦を行う試合形式のポーリングが拡がり、活発な社会的関係性ができた後、やがて衰退する過程で人と人との絆や交流が失われ、コミュニティの崩壊をもたらす状況を描写した。より良き社会形成のために人と人との有機的、互恵的なつながりがいかに重要かを示した名著とされる。

 

近年わが国においても社会関係資本の存在が注目された実例も再確認したい。それは2011年3月の不幸な出来事である。東日本大震災が発生時、多数の死傷者、壊滅的な家屋、インフラの損壊がもたらされた。まさに社会崩壊ともいえる事態に直面した。

しかし、この未曾有の大災害にも関わらず、現地の人々が取った、利他的で協調的な、秩序立った行動は、国内外問わず大きな感嘆と賞賛の的となったことは記憶に新しい。表現が難しいところだが、もし、このレベルの大震災、大災害が他国で発生していたなら、もっと大きな、そして悲惨な社会的混乱が生じた可能性が高い。

 

暴動、暴力、略奪など二次的な人的災害が発生したのではなろうか。しかし、阪神大震災のときもそうだが地域の人々は悲嘆にくれながらも社会的秩序を維持し、助け合い、慰め合いながらいち早く復興への途を歩み出した。支援品配布の行列を乱す人は無く、むしろ支援、助力してくれた自衛隊員やボランティア、米国海兵隊などへの感謝の言葉を忘れなかった。

これは単なる美談ではなく、社会としての柔軟な力強さを示した社会実験ともいえる。なぜ、東北で、阪神でこのような強い社会が作られていたのか。これを端的に説明する概念こそが社会関係資本なのである。資本とは生産により利益をもたらすもの(Solow(1999))、すなわち土地、労働と並ぶ基礎的な生産要素とされるわけだが、この災害時に社会関係資本からたらされた利益はおそらく社会を維持する力であり、秩序、復活へのモチベーションなどであったのだろう。

 

地域社会を構成する人々の間に形成される人間関係、ネットワークが相互扶助をもたらし、犯罪を抑制し、健康な生活をもたらすという、まさに健全な資本形成によって社会に価値がもたらすことが明らかにされたことになる。

労働研究においても既に小野(2018)が職場における社会関係資本形成が「組織や職場の有効性」「健康」「心理的well-being」に好影響を及ぼすことを検証している。企業内においても従業員、経営者などの人々のなかに「信頼」「互恵規範」「ネットワークに基盤をおいた持続的な関係性(きずな、つながり)」が構築されることで、経営活動全体を効率化し、円滑に発展させる効果があること示された。もちろん、従業員の個としてwell-beingなどを高める効果も示されている。職場は社会の縮図であることを考えれば、当然であろう。

 

もう気づかれたであろうが、こうした企業内における社会関係資本の形成・発展に対して、これまで福利厚生は大きな貢献を行ってきたことは間違いない。

 

スポーツ活動、レク施策、共同での健康予防運動などをはじめとして、近代版相互扶助システムの代表ともいえる従業員拠出型の各種団体保険・年金制度などもリスクを共有する社内人間関係である。そして、こうした福利厚生関連の制度・施策の多くが従業員の要望の下で、経営層との協議がなされるなかで導入され、その過程そのものが労使関係の安定化にも寄与してきたわけである。

これらは従業員間の一体感、従業員と経営層の一体感などと呼ばれてきたが、それがまさに社会関係資本の形成そのものだったのである。

 

さて、冒頭の話に戻るが、こうした好ましい社会関係資本の形成に対して福利厚生が有効な投資手段として存在するとなれば、まさに自信をもって市場に対して情報開示すべき資本形成となるのではなかろうか。なぜなら、この社会関係資本はメンバー間の相互作用が時間をかけて蓄積される性格の資本であって、他社からの短期間での安易な模倣が極めて難しいものだからである。

人的資本と社会関係資本、両資本は並置されて論じられ、開示されるべきものであろう。

この記事の講師

西久保 浩二

山梨大学 生命環境学部 地域社会システム学科 教授

 一貫して福利厚生に取り組み、理論と実践の経験を活かした独自の視点で、福利厚生・社会保障問題に関する研究成果を発信している。

<公職 等>
「国家公務員の福利厚生のあり方に関する研究会」座長(総務省)
「国家公務員の宿舎のあり方に関する検討委員会(財務省)」委員
「PRE戦略会議委員(財務省)」委員
全国中小企業勤労者サービスセンター運営協議会委員
企業福祉共済総合研究所 理事(調査研究担当) 等を歴任。

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