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健康と産業保健の歴史

労働衛生コンサルタント 日本医師会認定産業医
久保 浩太

健康は目に見えません。ですが、健康はすべての活動の源です。

健康でないことは身を不幸にしますから、不健康をした人は健康に感謝をします。心身ともに健康であって、願わくば仕事や労働は自己実現のプロセスとしてあってほしいと多くの人は願っています。

その願いが届くかはともかく、「健康」と「労働」の関係は有史以前からの問題でした。

農耕社会が始まり、長らくの間、労働者の健康状態は劣悪なものでした。

 

15世紀にイタリアのラマツィーニが、「働く人の病」で炭鉱夫と肺疾患の関係を著したことから始まり、西欧諸国を中心に職業病の研究や公衆衛生といった医学分野の発展をみました。

がんや脳卒中、感染症といった疾病の研究よりも先です。労働は人間社会における根本的な活動のため、医学だけでなく、経済や福祉といった分野にも広がりを見せました。

 

19世紀にはプロイセンによる世界初の公的な労災保険が実現されました。それまではイギリスをはじめ、職業別の共済組合が主流でした。この時、プロイセンは後進の国家であり、労働運動を鎮める効果も期待されてのものでした。結果、生産性は向上し、豊かな中流となった労働者は消費も支え、国家は繁栄しました。

しかし、「働かざるもの食うべからず」はまだ当たり前でした。もちろん本人の怠惰が原因ならば議論の余地はあるものの、セーフティネットすらなかった時代の話です。

20世紀にはイギリスや日本によって国民皆保険が実現され、労災と私傷病までをカバーするシームレスな公的保険が実現するに至ります。現代の社会では、社会福祉と経済活動は両輪のようなもので、消費する人口規模がないと供給は成り立ちません。そのいずれにも健康は必要であり、そのために富は再分配される必要があります。

 

現在の格差社会ではここがおびやかされつつあるので、健康不安が高まっているとも言えます。

興味深いことは、これまでの労働者に安心や幸福を与えてきたのはシステムであり、個別対応ではなかったのです。またシステムを提案した時点では、決して健康度が高かったわけではなく、むしろ環境に不安を感じていて将来起きうるリスクを減らしたいという当然の帰結によるものでした。

現代の日本は、少し前に比べると不安が強い時代であると感じる方が多いようです。

この時代の産業医としては、もちろん健康を害してしまったときには個別対応が必要なため、医学理論に裏打ちされた専門知識を活かせることは最低限です。

しかし、今後のことを考えると、社内だけでも健康に対するシステムを作り、安心や働き甲斐をつくれるチームの一員となれる産業医は有益と考えます。

産業保健のシステムは一人では作るのは難しいものです。一人で作ったとしても他の方々に支持されなければ無意味です。

そのためには対話が重要で、結果がついてこないと焦るときには、歴史をふと振り返ってみるのもヒントになることがあるかもしれません。

この記事の講師

久保 浩太

2009年慶應義塾大学医学部卒業。2011年慶應義塾大学医学部麻酔学教室 、2016年研究開発法人国立成育医療センター手術集中治療部


麻酔科専門医 日本医師会認定産業医 産業衛生専攻医 労働衛生コンサルタント(保健衛生)


国立病院で麻酔臨床を行う傍ら、予防医療の重要性を認識し、製造業から外資系企業までの産業保健を経験、現在は専属産業医として活動しています。


心身のワークライフバランスを整え、真の健康の実現を目指しています。

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